ミスター日本映画の高倉健を通して地域を読む
本日は、ミスター日本映画と呼ばれている高倉健(たかくらけん)を通して東アジアを読み解いてみたいと思います。
高倉健は1931年に福岡県中間市生まれ。小学校のときに疎開で八幡市へ移転しました。明治大学商学部を卒業した後、1955年、東映第2期ニューフェイスに補充編入されました。
数多くの映画に出演した後、1976年、高倉健はフリーとなり、翌年に公開された超大作『八甲田山』や初の松竹映画『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』でキネマ旬報主演男優賞など、その年の賞を総なめし、“ミスター日本映画”として不動の地位を築きました。
ここで一旦話が変わりますが、1976年、文化大革命が終結した。その後、中国で日本映画が大ブームとなりました。1978年から1991年まで、76本の日本映画が中国全土で公開され、高倉健、栗原小巻、中野良子、山口百恵などの日本人スターが注目され、特に高倉健がカリスマ的存在でした。
そのきっかけは、高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ(中国語題:追捕)』(1976)が、1979年に中国で公開されるや、何と10億もの中国国民が鑑賞したといわれ、高倉健は中国人にとって最大級の日本人スターとしてリスペクトされるようになりました。
あらすじ
東京地検検事の杜丘(高倉健)は、ある日新宿の雑踏の中で見知らぬ女性から「強盗殺人犯」と騒がれ、その場で緊急逮捕された。
杜丘にはまるで身におぼえのないことだったが、証拠が揃いすぎていた。杜丘は家宅捜索の隙をみて逃亡した。 その日から、憤怒に燃えた逃亡の旅が始まった・・・
映画が大ヒットしたことも関連して、青山八郎が作曲した映画の主題曲♪ダ~ヤダ~は、大ブームとなった。少なくとも現在50代以上数億人の中国人で、この主題曲を口ずさめない人はいないと言われています。