海峡を渡るバイオリンを通して地域を読む
13日のクラシック音楽の続きで、本日はバイオリンをめぐって話を進めます。
クラシックを含め、音楽が人にもたらす効果について皆さんの関心が高まっていると思います。実は2005年頃まで、クラシック音楽を難しいと敬遠していました。ヨーヨー・マとの「出会い」によって、クラシック音楽も聴くようになり、好きになりました。
特に2017年と2019年、日中青年音楽交流の通訳を担当したことで、音楽について関心がもっと高まりました。
日中青年ふれあいコンサート(2019年in安平町)
私が音楽に関心を持つのは、音楽鑑賞のリラクセーション効果を望む一方、長年の通訳の現場体験を通して、音楽は関係改善の効果もあると思うからです。
さて、本日の本題です。
サブタイトルに付けてある『海峡を渡るバイオリン』は、「東洋のストラディバリ」の異名を持つ、バイオリン製作者・陳昌鉉(チンショウゲン)さんが書いた本のタイトルから取りました。
私が初めて陳昌鉉さんの名前を知ったのは、確かに2006年頃でした。
大学院生時代、北海道大学の図書館で、ヨーヨー・マに関する資料を調べている時、偶然雑誌『月刊日本語』で陳昌鉉さんの特集記事を見つかりました。
陳昌鉉さんの略歴をみましょう。
1929年、韓国慶尚北道金泉郡(現金泉市)生まれ、バイオリン製作者。1943年、14歳で日本に渡り、差別や貧困を乗り終えながら、独学でバイオリン作りの道を歩んでゆく。明治大学英文学科卒業後、バイオリン製作を独学。1976年、国際バイオリン・ビオラ・チェロ製作者コンクールにて全6種目を金賞受賞、1984年、アメリアバイオリン製作者協会より無鑑査製作家の特別認定とマスターメーカーの称号を授与される。
若い時の陳昌鉉さん
陳昌鉉さんは著書のなかで、日韓両国の戦後史を背景に、世界的な名匠になるまでの波乱の半生を描きました。
また、この著書は漫画化やドラマ化もされました。草薙剛が扮する陳昌鉉のドラマは感動的です。ドラマは、フジテレビ開局45周年企画として、2004年11月に放映されました。文化庁芸術祭優秀賞受賞。
ドラマのあらすじです。
1935年、夏。5歳の陳昌鉉少年は、深い愛を母、千大善(田中裕子)から注がれ、何不自由なく健やかな毎日を送っていた。やがて太平洋戦争が始まり韓国が日本の統治下に入ると、少年たちも軍国主義の波にさらされる。
母国語まで奪われ、日本語を強いられることになった時、昌鉉の前に日本人教師、相川喜久衛(オダギリ ジョー)が現れる。1942年のことである。相川がバイオリンを弾くことを知り、一気に昌鉉の心は相川に奪われる。
相川の出征、そして父、陳在基(チョン ドンファン)の逝去、と身辺の変化が続いた末に生活は困窮をきたし始め、昌鉉は中学進学を断念しなければならなくなった。相川のような教師になることを夢見る昌鉉は、お金がかからずに中学へ進める日本に渡ることを心に決め、14歳にして母の元を離れることを決意し、日本に渡る。
…ストラディバリウスという世界最高峰のバイオリンとの出会いに衝撃を受けた陳昌鉉は、すべてを賭けて独学でバイオリン制作に取り掛かる…