加藤登紀子さんを通して地域を読む

ご訪問、ありがとうございます。本日、加藤登紀子さんについて紹介します。

もう20年も前、日本に来て間もない頃、知床に旅行しに行ったことがあります。行く前に、知人から知床と言えば、「知床旅情」だね、と言われました。それで、「知床旅情」について調べてみました。

作詞・作曲は森繁久彌、唄は加藤登紀子。しかも、加藤登紀子さんは、自分と同じハルビン生まれなのだ!嬉しい驚きでした。親近感を覚えました。カセットテープを買ってよく聞きました。

 

 

周りの留学生に古いねと笑われたこともあります。当時、周りはSMAPサザンオールスターズ安室奈美恵などを主に聞いていました。

誤解を避けるために言いますが、SMAPサザンオールスターズなども好きです。ただ、同じ故郷出身の加藤登紀子さんに特に親近感を覚えています。

加藤登紀子さんのオフィシャルサイトに基づいて、略歴を見てみましょう。

1943年中国東北部ハルビン市生まれ。

1965年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。

1966年「赤い風船」でレコード大賞新人賞、1969年「ひとり寝の子守唄」、1971年「知床旅情」ではミリオンセラーとなりレコード大賞歌唱賞受賞。
以後、80枚以上のアルバムと多くのヒット曲を世に送り出す。

国内コンサートのみならず、1988年、90年N.Y.カーネギーホール公演をはじめ、世界各地でコンサートを行い1992年、芸術文化活動における功績に対してフランス政府からシュバリエ勲章を授けられた。
近年は、FUJI ROCK FESTIVALに毎年出演し、世代やジャンルの垣根を超え観客を魅了し続けている。

また年末恒例の日本酒を飲みながら歌う「ほろ酔いコンサート」は45年以上続いていて人気のイベントとして定着している。

歌手活動以外では女優として映画『居酒屋兆治』(1983年)に高倉健の女房役として出演した。
宮崎駿監督のスタジオジブリ・アニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としてマダム・ジーナ役を演じた。

地球環境問題にも取り組み、1997年WWFジャパン顧問及びWWFパンダ大使就任。
2000~2011年には環境省・UNEP国連環境計画親善大使に就任。

アジア各地を訪れ、自らの目で見た自然環境の現状を広く伝え、音楽を通じた交流を重ねた。・・・・・・

 

加藤登紀子さんと言えば、歌手というイメージが強いですが、略歴を見て分かるように、女優として、声優として、また地球環境問題にも取り組んいます。

それに著書も多いし、新聞や雑誌などにも積極的に発信しています。そのうち、戦争を反対する力強いメッセージもあります。

その経緯は、加藤登紀子さんの父の加藤幸四郎さんが、戦前、徴兵されて戦争体験を持つこと、また戦後、苦労の末、日本に引き揚げてきた家族史を持つことが考えられます。

1995年、加藤登紀子さんは、両親と一緒にハルビン訪問しました。その時、加藤登紀子さんは、母の加藤淑子さんと引き揚げの時に歩いた線路を歩きました。

加藤登紀子さんは、両親の体験を追体験しただけではなく、1945年前後の東アジアの歴史も追体験したと思われます。

 

今回、加藤登紀子さん(の家族史)を通して東アジアを読み解いてみました。今後の加藤登紀子さんの活動にも注目します。

 

最後に加藤登紀子さんの著書『運命の歌のジグソーパズル』の序文を借りて、文を閉じます。

 

 

歌は素晴らし旅人です。

人が歌うことを知ってから、この地球の上をどれほどの人が旅をしたことでしょう。

新しい自分に出会うために・・・

愛しい故郷を取り戻すために・・・

人には国境があり、故郷があり、時には無残に引き裂かれもします。

でも歌にはパスポートが要りません。

 

参考文献

加藤登紀子 オフィシャルサイト

https://www.tokiko.com/profile.html

毎日新聞 Tokiko’Kiss 対談 加藤登紀子×河野洋平「戦争しない国のブランド守る」2015年8月3日

毎日新聞 特集ワイド 「この国はどこは これだけは言いたい」2021年2月15日。

・加藤淑子著、加藤登紀子編『ハルビンの詩(うた)がきこえる』藤原書店、2006年。

加藤登紀子『運命の歌のジグソーパズル』朝日新聞出版、2018年。