ジャージャン麺を通して地域を読む
本日、ジャージャン麺を通して地域を読み解いてみます。
炸醤麺(ジャージャンミエン zhá jiàng miàn)は、中国山東省に起源して、主に中国東北地域、華北(北京・天津)、河南省、四川省などの家庭料理です。また、日本風ジャージャン麺(盛岡じゃじゃ麺)及び韓国風ジャージャン麺(짜장면)もあります。
本日は主に、山東にルーツをもつジャージャン麺が中国各地、そして日本と韓国まで伝わった経緯について紹介します。
かつて山東から国内の東北地域に多くの移住者を送り出し、海外には朝鮮半島に多くの移住者を送り出しました。人が移動する際に食文化も一緒に持ち込んだのは、容易に想像できます。
中国東北地域には、戦前、日本からも多くの人々が移住しました。そのなかに長野県をはじめ、北海道、岩手県などからの移民も多かったのです。
盛岡じゃじゃ麺の創案者とされる、白龍創業者の高階貫勝(たかしなかんしょう)さんが戦前、中国東北地域で食べてきた炸醤麺をもとに、引き揚げた盛岡で地元の人々の舌に味を合わせてアレンジしを加えました。
韓国のジャージャン麺(짜장면)は、かつて山東からの移民が持ち込みました。韓国の華僑は山東出身者が多いです。
韓国料理の中でもリーズナブルな値段であり、韓国人もよく食べるこのジャージャン麺。ジャージャン麺博物館がオープン(2012年4月)するほど、ジャージャン麺は韓国の国民食と言っても過言ではありません。2019年5月、韓国に行った際にジャージャ麺博物館見学しました。
ジャージャ麺博物館
ジャージャン麺博物館は、仁川のチャイナタウンの中に位置しています。かつてこの辺りは仁川市内でも貿易の主要な場所として栄え、チャイナタウンだけでなく日本人街もあり、他国との交流が盛んでした。その時に持ち込まれ発展したのがジャージャ麺です。
以上で見てきたように、越境する食文化のジャージャン麺が日中韓(の人々)を結びつけました。