【書評】『ナマコの眼』(鶴見良行、ちくま学芸文庫、1993年)

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本日、日本のアジア学者・人類学者鶴見良行氏の『ナマコの眼』(ちくま学芸文庫、1993年)について紹介します。

 

 

 

鶴見良行氏について簡単に紹介します。

 

鶴見良行氏(1926-1994)は、外交官であった鶴見憲の息子としてアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。アメリカのプラグマティズムの紹介や「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を設立したことで知られる哲学者・評論家の鶴見俊輔は従兄、社会学者で知られる鶴見和子は従姉です。すごい一族です。

鶴見氏は生前、ナマコ、バナナ、エビなどの食物・交易品を手がかりに漁民や少数民族の立場から歴史を問い続けてきました。 

本書は、約600ページ以上をそんなナマコの話ばかりで埋め尽くした「ナマコ大全」とでも呼ぶべき一冊です。アジアへの眼差しを深め続ける鶴見良行氏が、約20年間の熟成を経て、遂に完成した歴史ルポルタージユ大作です。名著としての誉れも高い本で、新潮学芸賞を受賞しました。

鶴見氏の視線は、歴史にとどまらず、食文化と文学にも届きます。さらに自分の足で各地を旅することで、叙述に厚みとふくらみも出てきています。知的好奇心をかきたててくれる本。

 

 

 

本書では、国家や植民地宗主国がつくる障壁をやすやすと越えて、ナマコの交易を通して多くの人々がつながってきた数百年の歴史を語ります。登場するのは、南太平洋のカナカ族、チャモロ族、マニラメン、フィジー島民、オーストラリアのアボリジニーニューギニアのパプア人、東南アジアのマカッサル人、ブギス人、バジャウ人、スルー島民、朝鮮人、中国の越人、漢人、日本列島の漁民、アイヌ東北アジアツングース人・・・

 

さて、なぜナマコなのか?                         鶴見良行氏は、その理由を下記のように綴っています。

 

    • 国家を単位として歴史を記述できるのは、ごく限られた時代と 土地にすぎない。それに歴史家たちは英雄に光を当てて記述しているから、歴史は多くの場合、中央の座に坐っている権力者の眼から見た歴史になってしまう。
    • ナマコを借りて人類、ヒト族の歩みを語ろうとするのは、国家史観、中央主義史観への異議申し立てのつもりである。国家史観、中央主義史観では、ナマコ語やマニラメン(中略)は見えてこない。ナマコがそう語っているように、私には聞えてくる。115頁

     

 

『ナマコの眼』の文末に鶴見良行氏が驚く事実を明かします。

 

星くずから太陽を眺め、ナマコの眼を借りてヒト族の歴史と暮しを考えてきた。もとよりナマコに眼はない。これは仮空に視線を合わせ事実を追った一片の物である。554頁

 

なるほど、ナマコには目がありません。鶴見は健全な批判精神を持ってナマコを代弁して語ったのです。本書で鶴見がナマコを代弁して語る箇所はまだあります。

 

 

ナマコの眼を借りてヒト族の歴史を書き始めた私を、海底に横たわったナマコが見上げ、私の思考のなぜかくも遅きかと嘆いているかもしれない。海底にある生物のかそけきつぶやきが聴こえてくるような気がする。

 

ナマコにだって歴史を語る資格はある。555頁

 

鶴見良行氏のナマコ研究は机上の研究ではなく、丹念に人間とナマコとの関わりを追ってきました。ナマコの視座から、アジアと日本の歴史を眺めています。鶴見は研究について次のように述べています。

 

研究とは面白いもので、それまで歴史の闇に沈んでいた生物やヒトに墓碑を建て冥福を祈るようなところがある。100頁

 

私は鶴見良行氏の研究姿勢に敬意を払います。どなたでも、鶴見が提示したナマコの眼に注目すれば、読み取れるものが多いでしょう。