【書評】『橋と日本人』

本日、建築学者上田篤氏の『橋と日本人』(岩波新書1984年、黄版 277)を紹介します。

上田篤(うえだ あつし)は、1930年滋賀県生まれ、京都精華大学名誉教授です。専門は都市計画と比較文明論です。

 

 

出版社内容情報

歌謡や和歌、紀行、随筆などに日本人の「橋」観をさぐる一方、現存する橋の実地調査を手がかりに古い橋の姿をたぐり寄せ,浮かび上らせる本書は、楽しい「日本‐橋づくし」の本であり、ユニークな日本文化論の書でもある.橋についての伝統的な知恵と美意識をふり返ることは、おのずから現代の橋梁デザインへの批判と提言ともなっている.

目次

かけはし

うきはし

いわはし

うちはし

つりはし

はねはし

たかはし

そりはし

やかたはし

せりもちはし

かがいはし

 

著者は本書で日本の橋のルポタージュを書き、68種類の橋を生き生きと描き出しており、思わず現場に見に行きたくなります。

上田篤氏には及ばないが、私も旅をする際に、よく現地の橋を見に行くようにしています。その理由は、私の研究分野の一つが東アジア地域研究で、多大な影響を受けた『記憶の場』という本に起因します。

 

フランスの歴史学者ピエール・ノラは、「記憶の場」という概念を提起しています。記憶の場は「場」という語のもつ三つの意味――物質的な場、象徴的な場、そして機能としての場――においての場です。

ピエール・ノラの理論に基づけば、橋、博物館、記念碑、駅、港、歌・音楽、人(世代)、言葉、本(文学)、切手、映画などが記憶の場になりうると考えます。

 

私の現在の問題関心に基づいて、本書を読んで印象に残ったのは、本書はただの橋を紹介するだけではなく、比較文化論ぼ視点を入れて筆を書き進めていることです。

 

西洋や中国の橋は、川をへだてた二つの世界をつなぐ連結器という意味をもっているのにたいし、日本の橋は、二つの世界を分けへだてる境界、あるいは境界であることをしめすシンボルである、いいかえると神社の鳥居のような一つの結界である、ということである。結界であるから、越えようとおもえばよういに越えられる。しかしそこには結界であるがゆえのいろいろな意味あいがかくされているのだ。11-12頁