【書評】『歌謡曲から「昭和」を読む 』

本日、なかにし礼氏の『歌謡曲から「昭和」を読む 』(NHK出版新書、2011年)について紹介します。

 

 

なかにし礼氏は、本名中西禮三〈なかにし・れいぞう〉、「恋のフーガ」や「北酒場」などのヒット曲を手がけた作詞(曲)家で、直木賞作家でもあります。

なかにし礼氏については、以前別のブログで書いたことがあります。

 

ameblo.jp

 

目次 :

 ■序章  歌謡曲の終焉 / ■第1章 日本の「うた」をさかのぼる / ■第2章 流行歌の誕生 / ■第3章 哀しみのリアリティ / ■第4章 戦争を美しく謳った作家たち / ■第5章 戦後歌謡と二人の作曲家 / ■第6章 音楽ビジネスに起きた革命 / ■第7章 すべての歌は一編の詩に始まる / ■第8章 歌謡曲という大河 / ■終章 歌謡曲の時代のあとに 

 

 

謡曲は初めから終わりまで昭和という時代と重なっています。なかにし礼氏は生涯四千曲作詞して、ヒットしたのは300曲以上、今もカラオケで歌われるのは100曲以上だと言います。

 

ひとつ確かなことがある。結果的にではあるが、大ヒット曲は多かれ少なかれ、時代をつかんでいるということだ。その時代の空気をすくい、それを詩・曲・歌の共同共同作業によって人びとに差し出す。それがうまく時代の真実をつかんでいれば、その歌は人びとの心に届いてヒットする。つまり、その歌は時代を映す鏡たり得たのだ。10頁

 

その具体例として、「石狩挽歌」を取り上げています。

 

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          石狩挽歌記念碑(小樽貴賓館・旧青山家別邸)

 

この歌には、なかにし礼自身の幼少時の体験、兄に対する複雑な気持ち、人生に対する想いが織り込まれています。なかにし礼には、15歳年上の兄・正一がおり、その兄が引き起こすトラブルや葛藤が人生にしつこくつきまとっていました。幼少時、なかにし家は貧困の中にあり、兄はバクチのような鰊漁を行ったことがあり、せっかく大漁に恵まれたのに、それで満足せず、わざわざ本州まで運んで高く売ろうとしたために、結局せっかくの鰊も腐らせてしまい、全てを失い膨大な借金だけが残ってしまいました。そして一家は離散することになりました。なかにしの内にあるそうした原体験とでも呼べるようなものがこの歌には込められています。

 

上記で言及したブログでも書きましたが、北海道小樽市に在住したなかにし礼の両親は、戦前、「満洲」に渡って、酒造業で成功を収めていました。しかし終戦後、「満洲」から引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇しました。この体験がなかにし礼の以後の活動に大きな影響を与えたと考えられます。その家族の歴史について、なかにし礼は小説で描いています。例えば、なかにし礼の母親をモデルとした小説『赤い月』があり、映画化にもなりました。

 

本書の複数の箇所でなかにし礼は「満洲」体験について言及しています。

なかにし礼は平成元年を最後に作詞家をやめました。そして数年前生まれ故郷の旧「満洲」の牡丹江を訪問しました。そこで生家の跡の公園のカラオケで中国人の女の子が歌っていた「グッドバイマイラブ」に深く感動したようです。

 

あのとき以来、詩とは何か、歌とは何か、そして人生とは何かなどについて考えようとするとき、決まって牡丹江の「グッドバイマイラブ」を思い出すのである。185頁

 

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                 牡丹江駅

 

 

なかにし礼氏は2020年12月23日に亡くなりました。

しかし、なかにし礼氏が作詞・作曲した歌は、これからも世代を国境を越えて歌い継がれるでしょう。

 

参考資料
なかにし礼 オフィシャルサイト
http://www.nakanishi-rei.com/bio.html