【書評】『東西/南北考―いくつもの日本へ』

本日、愛読している民俗学者赤坂憲雄の『東西/南北考―いくつもの日本へ』(岩波新書、2000年)について紹介します。

 

目次

はじめに                                    第1章 箕作りのムラから 
第2章 一国民俗学を越えて
第3章 東と西を掘る
第4章 地域のはじまり
第5章 穢れの民族史
第6章 東北学、南北の地平へ                         あとがき

 

出版社内容情報

「ひとつの日本」から「いくつもの日本」へ….北海道・東北から沖縄へと繋がる南北を軸とした縄文以来の歴史・文化的な重層性をたどる.新たな列島の民族史を切り拓く,気鋭の民俗学者による意欲的な日本文化論.

 

冒頭から余談の話ですが、私がこの本に関心を持ったきっかけは二つあります。まず、東アジア地域研究が専門領域の一つで、自分が中国の東北地域出身で、朝鮮半島(南北関係)情勢に関心を持っており、「東西/南北」というキーワードに関心を持っています。次に学部時代からお世話になっている恩師が青森県出身なので、東北に関心を持っていました。

 

その関係もあり、私は主に「東西/南北」というキーワードに着目して読んできました。2月15日の市民公開講座で「日本の東北地方」について紹介することになったので、正月期間、もう一度読み直しました。

印象に残り、大事だと思う箇所(特に「東西/南北」というキーワードを含む)をピックアップします。

 

 

歴史への眼差しを深みにあって支える座標軸それ自体を、東/西から南/北へと転換させてゆくことである。東西の軸に沿って展開する眼差しと、南北の軸に沿って伸び広がる眼差しとのあいだには、見えにくい、しかし、あきらかに根源的な落差が横たわっている。(中略)東西の軸は同族的アイデンティティの再認識に繋がり、南北の軸は異族的なカオスの状況へとかぎりなく開かれている。ⅱ頁

 

著者は、断りながら、東西/南北の眼差しの断層をきわだたせるために、大相撲/異種格闘技戦の対比を手掛かりとして問いかけています。

 

東西の軸が相撲に、南北の軸が異種格闘技戦に対応している。東西の方位に沿って伸びる眼差しと思考は、この列島の地政学的な無意識の呪縛のなかでは、支配と服属のパフォーマンスを避けがたく強いられる。先取りにして言っておけば、西の支配/東の服属という対の構図は、歴史認識の底に横たわる岩盤に刻印された傷跡(トラウマ)のごときものである。ⅵ頁

 

東西の軸に沿った戦いは、関ヶ原の合戦を思い浮かべるだけでも、ひとつの土俵・ひとつのルールを互いに認め合った戦いであることがあきらかだ。際限もない殺戮のドラマが演じられるわけではない。それを突き詰めてゆけば、ひとつの種族=文化の内なる領土争いに帰着する。ところが、南北の軸に眼を転じると、様相はたちまちにして一変する。そこには、定められた土俵は存在しない。戦いのルールもまた混沌としている。それは、蝦夷アイヌ琉球といった、少なからず種族=文化的な断層を孕んで対峙する相手との、いわば植民地支配のための戦争である。ⅶ頁

 

著者は、「ひとつの日本」から「いくつもの日本」に転換するために、様々な提案・呼び掛けをしています。「はじめに」だけでも充分読みに値します。